京都の夏の風物詩として知られる「五山送り火」。
毎年当たり前のように行われていますが、「いつから始まった行事なのか」と聞かれると、実ははっきりした答えはありません。
五山送り火は、歴史資料が少なく、各文字ごとに異なる由来や諸説が残されている行事です。
本記事では、五山送り火がいつから始まったのかを軸に、それぞれの文字に伝わる起源や背景をわかりやすく解説していきます。
「大」の由来と起源に関する諸説
大文字山で点火される5文字の中で最も有名な「大」ですが、平安時代、大文字山のふもとにあった寺が大火災になり、阿弥陀仏が山上で光明を放ったという話から、これを真似て、年中行事として後世に残そうと弘法大師が始めたという説があります。
もちろん、当時はまだ五山送り火とは言われていませんでした。
この文字には、室町時代に足利義政が応仁の乱により荒廃した京都に蔓延る怨霊を鎮めるために始めたとされる説、江戸時代に始まったとされる説など様々あります。
弘法大師の説が比較的、広く知られているようですが、色々な文献を見ると、比較的あとに始まったようで、そうなると足利氏の説が強いのかとも思われます。
学識のあるかたの中では、後者の足利氏説が有力なようです。
ちなみに、この文字に関しては、送り火の前日午後、当日午前中は銀閣寺で一般の方からの護摩木を受け付けています。
五山送り火観光の際は、足をのばしてみてもよいかもしれません。
「妙」「法」の由来|法華経と関係する起源とは
五山送り火のうち、松ヶ崎西山の「妙」は鎌倉時代末期に日蓮宗の僧が「法華経」の題目唱和である「南無妙法蓮華経」の題目から西の山に向かって「妙」を書き、それを元に地山で山に点火を始めたのが最初と言われています。
松ヶ崎東山の「法」は江戸時代初期、西側にしか送り火がなかったため、東の山に向かって「法」を書いた僧がいたと言われています。
途中で起源とされる僧が改宗したと言われており、「妙」は草書体、「法」は隷書体でありその違いと示すとする説もあるそうです。
実際には見てもあまり違いがわからないのですが…。
この2文字について、前日の夜、当日は湧泉寺で踊りをされているそうです。
点火の際には、読経もあるそうですね。
踊りに関しては京都市登録無形民俗文化財のため、いちどは見学させていただくのもよいかもしれません。
「差し踊り(さしおどり)」と呼ばれるものだそうです。
舟形送り火の由来|精霊を送る船を表す意味
これは文字ではないのですが、西方寺をひらいた慈覚大師が唐での勉強を終え帰る途中に大嵐に遭ったが、南無阿弥陀仏を唱えて無事に帰国できたということ、その船を模っていると言われています。
そのため、帆掛け船のかたちをしており、西加茂船山で点火されます。
なお、延喜10年(910年)に蔓延した疫病の供養という説、精霊流しの船を模したという説など、これにも多くの説があります。
鳥居形送り火の起源|愛宕神社との関係が有力な理由
これも文字ではないのですが、さらに、これも弘法大師が起源とされる説があります。
これは石仏千体を刻んで開眼供養と営んだ際とも言われています。
他に伏見稲荷神社の灯明として焚かれたという説もありますが、鳥居の形から愛宕神社との関連もあるとされています。
いつからか、愛宕神社説が最有望です。
曼荼羅山で点火されます。
鳥居だけ、最初から準備をされておらず、合図に合わせてたいまつを持って走り、各火床に突き立てるスタイルです。
このため、油分の強い松材を使用することから他の文字より火が赤く見えることは有名です。
左大文字の由来は不明?資料が少ない理由
大北山で点火されますが、唯一、具体的な歴史やいわれがない文字です。
書物や絵巻物の中には、これが欠けているものもあり、いつから始まったかも謎です。
五山送り火がお盆の行事として定着した背景
五山送り火がいつから始まったのかは明確ではありませんが、現在のように毎年8月16日に行われる「お盆の行事」として定着した背景には、日本独自の先祖供養の文化が深く関係しています。
お盆は、先祖の霊が一時的にこの世へ戻ってくると考えられてきた仏教行事です。
京都では古くから、精霊を迎え、そして再び冥界へ送り返すためのさまざまな供養が行われてきました。
五山送り火もその一つとして、山に灯された火で霊の帰り道を照らす役割を担っていたと考えられています。
室町時代以降、都市として発展した京都では、多くの寺院や町衆が信仰行事を支えるようになり、送り火は個別の宗教儀礼から、地域全体で行う年中行事へと姿を変えていきました。
こうした流れの中で、起源が異なる複数の火が「五山送り火」としてまとめられ、現在の形に近づいていったとされています。
五山送り火はなぜ諸説が多いのか
五山送り火について調べると、どの文字や形にも「諸説あり」とされる説明が多いことに気づきます。
その理由の一つが、当時の詳しい記録がほとんど残されていない点にあります。
五山送り火は、国家行事として公式に記録されてきたものではなく、主に寺院や地域の人々によって受け継がれてきた民間信仰に近い行事でした。
そのため、文書として残される機会が少なく、後世に伝わる過程で口伝や伝承が中心となっていったのです。
また、山ごとに起源や目的が異なっていた火が、時代の流れの中で一つの行事として認識されるようになったことも、説が分かれる要因と考えられています。
五山送り火の歴史は「正解が一つに定まらない」からこそ、長い年月をかけて育まれてきた京都の信仰文化そのものを映し出しているとも言えるでしょう。
五山送り火はいつから始まった?起源が不明な理由と各文字の由来をわかりやすく解説【まとめ】
五山送り火は、明確な「始まりの年」が分かっている行事ではありません。
しかし、それぞれの文字や形に伝わる由来をたどると、時代ごとの信仰や人々の祈りが積み重なって現在の形になったことが見えてきます。
起源がはっきりしないからこそ、五山送り火は今も研究が続けられ、語り継がれている行事とも言えるでしょう。
先祖の霊を見送るという本来の意味を大切にしながら、これからも京都の夏の風物詩として親しまれていく行事です。

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